L'immortelle

 

appendix_01: The dead leaves

 

 

あたしの顔はヒキガエルに似ている。そして、毎日酒場で床をみがくあたしの姿も、ヒキガエルに似ている。あたしは這いつくばって、酒や吐瀉物のこぼれた床を拭き、酔った男たち、お酌をする女たち、そして伯父と伯母に蹴られ、小突き回される。

あたしの一日は伯父の家の家事で始まり、伯父の酒場の拭き掃除で終わる。両親が死んで伯父のもとに引き取られてから、休みはない。酒場の客の食べ残しとカビのはえたパンを食べ、井戸の水を飲む。

あたしの手足はごつごつと節くれ立って、青あざや擦り傷が絶えることはない。あかぎれと皺だらけで、まるで六十の婆さんの手のようだ。だけど、その手を眺めてため息をついている暇はない。伯母の怒った声がして、あたしは弾かれたように広場の井戸に水を汲みに行く。

 

逃げ出したかった。でも、どこへ? 二十歳の女なら、どこへ行っても働き口ぐらいあるだろうと人は言う。だけど、「じゃあ、あたしでも働き口はあるかしら?」と聞けば、みんなあいまいな笑顔をうかべて微笑むだけだ。そのぐらい、あたしは醜い。

 

***

 

あたしはその日も伯父に殴られていた。酒場を経営する伯父は、あたしの顔が気に入らないといってよくあたしを殴ったけど、殴られる一番の理由は、あたしが酒場の客に余計なことを言ってしまうからだ。その日は、このあたりでは見かけたことのない客が、腕自慢のパウロを仕事に誘っているようだった。それを見て、あたしは言ってしまったのだ。

「パウロ、行かないほうがいいよ」

見知らぬ男は驚いたようにあたしを見た。彼が何か言うより早く、あたしは伯父の長靴に蹴り飛ばされていた。

「このクズが! 余計なことを言うんじゃねえ!」

みぞおちを蹴られて息ができなくなり、蹴られ慣れているあたしもさすがに意識が遠のくのを感じた。だけど、あたしには見えたのだ。その男の持っている、暗い運命が。

 

***

 

死んだ母は、「あんたは器量はよくないけど、頭のいい子だ」と言ってくれていた。あたしは別にエルフたちみたいな不思議な力を持っているわけじゃなくて、ただ頭の中で順を追ってこの先どうなるかと考えていくだけなんだけど、母は「この先どうなるか」をたびたび言い当てるあたしを、「預言者みたいね」と言っていた。

あたしが小さかったころ、こんなことがあった。

パン屋のエマが彼女に言い寄ってた山向こうのガロンに「寄らないで、気持ち悪い」と言ったとき、「あの人、死ぬよ」とあたしはつぶやいた。母はぞっとしたようにあたしを見た。首が折れた彼女の死体が井戸から上がったのは数日後だった。子供の頃から「気持ち悪い」と言われ続けているあたしにはガロンの気持ちがわかったから、間違いなくガロンはエマを殺すだろうと思っただけだ。

あたしはそっとガロンの炭焼き小屋に行ってみた。ガロンはエマの自慢だったきれいな金髪の束を握りしめて眠っていた。あたしは母にも何も言わなかった。ガロンが捕まったのは翌月のことだった。

母はきびしい顔であたしを抱きしめ、「悪い予言は胸にしまっておおき、おまえが幸せになりたいのなら」と言った。

 

***

 

だからそのときも、ただ男の顔と余裕のない口調から、こいつはヤバいと思っただけのことだ。落ちくぼんだ目がギラギラと輝いているだけの男。一人でも多くの仲間が欲しいと焦っているくせに、行くあてすらなさそうな男。服は何度も雨に濡れたのだろうか、肩のほうから色あせてまだらになっている。もとは上等だったらしい靴は穴があき、不器用に縫い合わされた跡があって、その縫い目には一枚の落ち葉がはさまっていた。

パウロは結婚したばかりだったし、パウロの女房は幼なじみで、あたしに優しくしてくれたわけじゃないけど、あたしを蹴らなかった数少ない知り合いだ。だからあたしはパウロのために、行くなと言った。金は欲しいだろうけど、女房持ちが危ない橋を渡るものじゃない。

伯父に蹴られて転がるあたしを、パウロはいやな顔をしてしばらく見ていたけど、ようやく立ち上がって伯父を止めてくれた。

「トマ、もうやめとけ。ラウラがいくら丈夫だってそのうち死ぬぞ」

伯父は肩で息をしていた。妻にバカにされ、子供たちに嫌われている小心者の伯父。あたしを蹴るのは伯父の暗い気晴らしだ。それもあたしにはずっと前からわかっていることだけど、それを口にするときはあたしか伯父かどちらかが死ぬときだと思う。

伯父は舌打ちして最後にあたしの向こう脛を爪先で小さく蹴り、帳場へ戻っていった。

「ありがとう、パウロ」

パウロはあたしのお礼の言葉を聞こうともせず、見知らぬ男に向かって言った。

「シグルさんとやら、すまねえがこの話はなかったことにしてくんな。女房が来年子供を産むんで、長旅はだめなんだ」

シグルと呼ばれた見知らぬ男はあたしをにらみつけた。あたしは思わずにらみ返した。これでよく酔った客から蹴られるんだけど、生まれつきの性格はどうしようもない。パウロは勘定を払って酒場から消え、シグルとあたしだけが残った。他のテーブルの騒ぎが、あたしには聞こえなくなっていた。

 

***

 

「なぜ邪魔をした」
「だってあんた、ヤバい匂いがプンプンするもの」
「ヤバいと思うか」
「ええ」
「お前に何がわかるんだ。この酒場で芋虫みたいに這いずり回ってるだけのお前に」


あたしは立ち上がって、あたしは横目で、伯父がこちらに背を向けて常連客のテーブルに座ったのを確認すると、座っているシグルを見下ろすようにして言った。四つんばいになっているときは広くみえる酒場が、立って上から見るとちびのあたしにもおかしいほど狭く思えた。

「這いずり回っているあたしだから見えるものだってあるのよ」
「ふん」

シグルはビールで口を湿らせた。酒場で一番安い酒だ。

「あんたは何かとんでもないことを考えてる。そして、たぶん、どこかでとんでもないことをしでかして逃げてきたんだわ」

シグルの顔色が変わった。半ばあてずっぽうだったけど、当たっていたようだ。

「あんたの服も靴も上等だけど、かなり痛んでる。サイズが合ってるし、もとの色合いもちぐはぐじゃないから、追い剥ぎして奪ったものじゃないと思う。だとしたら、着替えられない理由は何? 旅の途中なんだとあんたは言うでしょうけど、商用にはとても見えないわ、荷物もないし。それに、椅子にかけたあんたのマントの裏地。黒ずんでごわごわになってるの、それ血でしょ? 黒いしみが筋になってるのは、剣を拭いたあとよね。怪我してるようには見えないから、あんたが誰かを怪我させたか、殺したんだわ。身につけている他のものはみんなボロボロだけど、剣はよく手入れされてる。剣には自信があるんでしょう」

シグルは青白い顔で、黙ってあたしの話を聞いていた。落ちくぼんだ目は暗い淵のようだった。

「最後に、パウロに言ってた『いい仕事』ってのが、どうしても引っ掛かる。これはあたしの勘だけど、あんたは何かヤバいことにパウロを巻き込もうとしてた。なぜパウロなの? ってあたしは思ったわ。彼はこの町一番の腕自慢よ。あんたもそのことを知ってパウロを誘ったように見えたわ。だとしたら『仕事』っていうのは、どっちかって言えば荒っぽい仕事のはず」

「……それで?」

彼は明らかに落ち着きを失っていたけど、冷静を装ってあたしに訊いた。奇妙な話だけど、あたしはその逃げ場を探す犬みたいな目を可愛いと思った。

「別に。それだけよ。あんたが何をしたのかは知らないし、何をしようとしてるのかも知らないわ」

シグルはしばらく黙って何か考え事をしていた。あたしは拭いても拭いても汚れてしまう床を拭くために、その場を離れた。いつものように床を拭き、酔客に足蹴にされるあたしを、シグルはじっと見ていた。彼は結局看板までビール一杯で粘り、伯父が帳場を締めて引きあげたあと、最後の拭き掃除をするために椅子を机に上げようとしているあたしを呼び止めた。

 

***

 

「おまえ、俺と来いよ」

あたしは最初、何を言われたのかわからなかった。

「こんな所にいたってしょうがないだろう。俺と一緒に来いよ」

「…… は?」

「俺は俺の国を手に入れるんだ。俺の持ってる『あれ』があれば、不可能なことじゃない。ここで這いずり回ってるのが好きなんだったら止めはしないが、蹴り殺されるよりは面白い人生を送らせてやるよ」

「…… 『あれ』って?」

あたしは彼がいった「あれ」という言葉に少し興味をひかれた。彼が無意識にか、何かを胸のところで押さえていることにあたしは気づいていた。それが、「あれ」なんだろうか?

「『あれ』っていうのは、それのことかしら?」

あたしは彼の手の中にあるはずのものを指さして言った。彼ははっとして手を下ろした。当たりだったようだ。こんなうかつな人が、国を手に入れるなんて… あたしの頬がゆがんだ。それは他の人だったら、笑いと呼ばれる表情だった。

 

***

 

シグルはそのまま町を出ていった。あたしは酒場の扉にもたれて、その後ろ姿を見ていた。宿から少年が出てきて、彼に従った。シグルは連れの少年だけ宿に泊まらせていたようだ。

(あの子は選んだのだ、彼と行くことを)

あたしはふとそう思った。

「いつでもいい。来る気になったら、俺の噂を追ってこい」

その言葉だけが、あたしの胸に残された。

バカな男だ。でっかくなってやるだの、領主になるだの騎士になるだのといって町を出ていく男なんて掃いて捨てるほどいるけれど、今はみなどうしているだろう。その中の誰かが少しでも偉くなったなんて話は聞いたこともない。この国、エウロンは内戦が終わったばかりなのだ。出世のきっかけはますます少なくなるはずだった。

あたしは酒場の扉の鍵をかけ、自分のベッドがある裏の物置小屋に戻った。

 

***

 

それから、またいつも通りの生活が続いていった。這いずり回り、蹴られ、あざ笑われる虫のような暮らし。あたしの世界にあるものはただただ広く見える汚れた木の床と、酒と吐瀉物の匂い、絶対者である伯母と、あたしを鞭打つ伯父、そして汚いものを見るようにあたしを見る従姉妹たち。

だけどあの日から、あたしの中には新しい気持ちがあった。いまの世界を、決して壊せないと思っていたその殻を壊せるかも知れない。いや、壊すことはできるのだ。あの男と行くことを、選びさえすれば。

 

***

 

その日は、今年何度目かの雪だった。あたしは伯父に呼ばれた。

「ラウラ、ちょっと」
「なに?」

伯父は、彼と同じぐらいの年ごろの男をそばに座らせていた。男のかたわらには杖があって、よく見ると両足の膝から下がなかった。

「こいつはマルコ。俺の親友のダチなんだが、戦争で足がなくなって、働けなくなっちまったんだ」
「ふうん」

伯父はあたしの気のない返事にイライラしたように片頬を引きつらせた。あたしは殴られると思って身体を固くしたけど、伯父は何もしなかった。ホッとしている暇はなかった。あたしはピンときた。

「こいつも家族を養わにゃならんから、うちで働いてもらう。床掃除は二人も要らんし、前からお前がいると酒がまずくなるって苦情もあった。すまんが、お前はうちの酒場以外の仕事を探してくれ」

あたしは黙っていた。マルコと呼ばれた男はあわてて伯父に言った。

「おい、この子はあんたの姪じゃないか。そんなひどいこと言うなよ、俺はほかに仕事を探すから」
「いいんだよ、いいんだマルコ。こいつだってもういい年だ。いつまでも死んだ弟のお荷物を背負わせないでくれ、ラウラ」
「…… 」

内戦が終わり、男たちが町に帰ってきていた。人手不足だった町には男手が戻り、一部の女たちは家庭に戻った。要するに町にはいま人手が余っているのだ。不細工で愛想のないあたしに仕事があるとは思えなかった。

伯父は黙って立っているあたしを居間から追い出すとき、

「来週からもうちに住みたいなら、家賃を払ってもらうからな」

と言った。

あたしが出ていくのと入れ替わりに、機嫌のよさそうな伯母が入ってきてマルコに愛想よくお茶を出した。この家に来てから、一度も飲んだことのないお茶。今さら何に対しても怒ることなど出来はしないと思っていたあたしだけど、ポットを抱えた伯母とすれ違ったときにかすかに感じたあたたかいお茶の匂いをかいだとき、そしてそのお茶の匂いに幸せだった両親との暮らしを思い出したとき、あたしは首筋の毛が逆立つほどの怒りを感じていた。

あたしには人間らしく生きる権利もないのか。

両親がいないから? 

醜いから?

 

***

 

その夜、あたしはいつものように酒場の鍵をしめる前に、調理場から細いよく切れる包丁を持ち出した。料理自慢の伯母の愛用品で、必ず何日かに一度は研いでいるものだ。それをふところに隠し、油のつぼを一つ持ち出して、いつものように裏口に回った。雪は相変わらず降り続け、さくさくと雪を踏むあたしの足跡もすぐにまた埋まってしまうだろう。

伯父と伯母が寝るまでにはまだ間があった。あたしは物置小屋に戻り、ふところの包丁を取り出す。ろうそくも何もない部屋の中で、かすかな雪明かりに、その刃物は白く冷たく輝いた。あたしがここから出ていくためには、これであたしを取り囲む檻を壊さなければならなかった。

(自分のナイフでやりたいんだけどな)

あたしはふと思った。もっとも、あたしは何か買い物ができるようなお金なんか持っていなかったけど。

荷造りをし、少しでもみっともなくない服を選んで物置の梁に引っかける。それから少し考えたあと、母の形見の口紅をひいた。伯父たちの部屋の明かりは消えていた。あたしはまた包丁を隠し、丈夫な縄を何本かとさっき盗んだ油のつぼをエプロンでくるんで腰にゆわえ付けると、物置小屋の屋根伝いに恋人が忍んでくるのを待つ従姉の部屋のいつも開いている窓から、伯父たちの家にそっと忍び込んだ。

最初は従姉。あたしを汚物扱いして、自分のものを一切あたしには触らせようとせず、決してあたしと目を合わせようとしない従姉と最後まで目を合わせることなく、あたしは一気に彼女ののどを掻き切った。従姉は声をあげる間もなく息絶えた。あたしには触らせてさえもらえなかった、白いふかふかの布団が血に染まった。

あたしは隣の従妹の部屋にすべり込む。あたしがここに引き取られた日からありとあらゆる嫌がらせをしてきた彼女はまだ起きていたけれど、長年の恨み辛みをここでぶちまけるほどあたしは愚かではない。

不意打ちで身体を押さえつけ、声を出されないように口の中いっぱいに布きれを突っ込んだ。恐怖に震える彼女の手足をベッドにしばりつけて、その上からたっぷり油をかける。最後にまだ消えていない部屋のロウソクを手にして彼女に向き直り、そのロウソクの火を油のしみ込んだベッドに落として、上から布団で軽く覆った。

事態をさとった従妹の声にならない悲鳴を背に、あたしは階下の伯父たちの部屋にそっと降りていった。

時間がない。ベッドを燃やす火が部屋に燃え移れば、さすがに外の誰かが気づいてしまうだろう。あたしは寝室の扉を開け、いびきをかいて眠っている伯母をまず始末した。伯母は絶命する前にゴフッと変な音を立て、おまけに手足をビクつかせたので、隣の伯父が目を覚ました。

「…… ラウラ?」

伯母の血を浴びた伯父は、何が起こったかまだ理解できていないようだった。バカみたいに口を開けてあたしを見ている伯父の手足をさっさとしばり上げ、口に詰め物をすると、また油をまいて火をつけた。伯母がお金を隠している化粧台の引き出しをあけて、お金の入った袋を引っ張り出したとき、化粧台の鏡にあたしの姿が一瞬うつった。返り血をあびた、赤い悪魔だった。

(何も言わずにやっちゃったな)

あたしはいつか伯父に浴びせようと思っていたいろんな罵りの言葉を言い忘れていたことに気がついた。だけど、もういいんだ。あたしには、他にやることができたんだから。入口を出るとき、詰め物が外れてしまったのか、伯父の絶叫があたしの背中に突き刺さった。

服は燃える家に投げ込み、全身を井戸の水で洗い流す。あたしは物置小屋に飛び込んで、さっき引っかけておいた服を着ると、小さな荷物を腰にゆわえつけて、外に飛びだす準備をした。ついに火が家の外に回ったのか、通りから人の声が聞こえはじめ、やがて通りとこの小さな家とをへだてる木戸が壊された。

「火事だ!」

男たちが狭い中庭になだれ込んできた。わかってたことだけど、あたしのことなんか誰も気に留めていなかった。あたしは火を消そうとする人々のうしろをそっと通り抜け、明け方の町へ出ていった。

自由だった。いま、あたしは誰よりも自由だった。火事を知らせる鐘が鳴り響く中、あたしは町外れに向かって軽い足取りで歩いていった。雪はいつしか止んで、朝の光に町並みが白く輝いていた。

「あら、ラウラ? 何だかあんたの家のほうが火事みたいよ」

あたしはさりげない様子で振り返った。まだ眠そうに目をこすりながら外に出てきたのは、雑貨と食料品を扱う店のおかみさん、マリアだった。

「本当? あたしはいま伯母さんにおつかいを頼まれて… そうだ、マリアさん。起きたんだったらお茶を一箱くれない? 小さな木箱の」
「珍しいわね、お茶だけはいつもイレーネが買いに来てたのに」
「そうね。頼まれたの、初めてだわ」
「いつものでいいわよね? …どうしたの、ラウラ? 髪が濡れてるわ。また水をかけられたの? こんな雪の朝なのに」
「だいじょうぶよ、ありがとうマリアさん。慣れてるし、もう着替えたわ」

あたしは自分でもあきれるほどぺらぺらといつも通りに、親切なマリアとおしゃべりをしながらお茶を包んでもらい、お金を払って店を出た。

「ねえラウラ、心配じゃないの?」
「あたしが心配しても誰も喜んじゃくれないし、うちじゃなかったらお使いを放り出して戻ったって殴られるだけだもの」
「ラウラ… 他の働き口、紹介しようか? あんたは働き者だし、きっといい仕事が見つかるわよ」

思わぬ一言だった。きのうマリアに会っていたら、あたしは…… だけど、もう引き返せはしないのだ。あたしは、やってしまったんだから。二階に上がって梯子を落としてしまったのはあたし自身だ。あとは、上り続けるしかない。

「ありがとう、マリアさん。そう言ってくれたこと、忘れない」

あたしはマリアに精いっぱいの笑顔を向けて、夜明けに開く町の門を出た。雪を踏んで、街道をあてもなく歩く。その先にはあの男、シグルがいるはずだ。そして、あたしの未来も。たどりつく先が何だったとしても、あたしは後悔しない。だって、あたしは自分自身で選んだのだから。

栄光か、絞首台か、どちらでもいい。それを決めるのも、あたしなのだ。

 

***

 

その館にたどり着いたのは、年明けだった。山奥の貴族の別荘が、今は山賊のすみかになっているという噂を追って、あたしはやってきた。服は色あせ、靴には穴があいて、あの頃のシグルのように、あたしもまたボロボロになっていた。子供時代に父から買ってもらったちんちくりんのマントにはたくさんの落ち葉がからみついて取れなくなってしまい、疲れと空腹でそれを取る気力もなかったので、あたしはまるでみの虫みたいだった。

門であたしの名を告げると、しばらくして中に入るよう言われた。館の広間では、暖炉を囲んで男たちがたむろしており、彼らはあたしを見て、複雑な表情を浮かべた。意外だったけど、あたしのみっともない姿を見ても、誰も笑わなかった。

「… 来たか」

シグルだった。もう、あの頃の逃亡者の顔ではなかった。屈強の男たちに囲まれた彼は一回り大きくなって見え、あたしは自分の選択が正しかったことを確信した。

「… 来たわ」

あたしは男たちの輪の中に足を踏みだした。自分の運命の中に。

 

 

index

home


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送